「日本のものづくり」と集団浅慮

「日本のものづくり」と集団浅慮

レッドスケール鳥居
日本には素晴らしい製品がたくさんある。
また、良いものを作るために真摯にものづくりに取り組む方々も大勢いる。
しかしながら、「日本のものづくり」を取り巻く状況は、良くない兆候が強く見えるようになってきている。

「Groupthink(集団浅慮、集団思考と訳される、以下集団浅慮と表記)」という言葉が存在する。
これは、集団が意思決定をする際、個での意思決定ではありえない不適切な決定を下してしまう、という現象を指す。

残念なことに、日本のものづくりはこれの類型にかなり該当してしまっていると断言できる。

1.自集団への過大評価

まず私が危険視しているのは、
「日本は歴史的に見てものづくりに秀でた国だ」というようなプロパガンダめいた主張。
何がダメかというと、完全に誤りだというところ。

よく例として挙げられる話だけど、映画バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3で
1955年のドクは「日本製品=粗悪品」と扱うのに対し、
1985年のマーティは「日本製品=高品質」と認識している、というシーンがある。
これが歴史的事実。

では、もともと粗悪品の代名詞であった日本製品は、どのようにして品質が向上していったのか。

実ははっきりとした契機がある。
ウィリアム・エドワーズ・デミングという人物のはたらきかけだ。
デミングは、1950年に品質管理の手法を日本に持ち込んだ。
それが日本国内に広がり、徐々に「高品質な日本製品」という状態が出来上がっていった。
これこそが、「日本のものづくり」の発祥だ。

ところで、これとは別にいわゆる伝統産業の話がある。
確かに日本の伝統工芸品には優れたものが多く存在する。
でも他の国だって、それぞれの国の風土に合った素晴らしい伝統工芸品を作っている。
そういう意味で、「優れた伝統産業の存在」が他国と比べた日本の明確な優位性だとはいえないと私は考えている。
日本が他国と比較して優れている点は、あくまでデミングの持ち込んだ手法を発展させた工業製品の品質管理。
そしてそれあたりまえにあるものではなく先人たちの努力の結晶。
歴史は浅く、「伝統」ではない。

厄介なことに上で挙げたようなプロパガンダめいた主張では、
「デミングの指導から始まる工業製品」と「日本の伝統産業」をごちゃまぜにし、
「日本のものづくりの伝統」というような虚構を作っているのだ。
もちろん、伝統産業という下地があったからこそデミングの手法を上手く取り入れることができた、
という側面はあるのかもしれない。
しかし、直ちにそれをイコールで結ぶのは乱暴であると言わざるを得ない。

「伝統」という言葉はそれだけで反論をある程度封じることができる力を持っているが、
落ち着いて調べてみると実はあまり歴史があるものではない、ということはこれに限らず結構多い。
最近話題になった、土俵の女人禁制の件とかもそのパターン。

自国製品を贔屓目に見るのは、健全な愛国心。
なので、「日本製品は素晴らしい」というのは何も問題のない正常な感情。
だが、「伝統」の捏造や、冷静さを書いた盲目的な賛美は問題。

個人の経験によるところなので根拠は出せないのだが、
実際に「日本品質なのだから少しくらい手を抜いても問題ないし他国製品に負けるようなことはないだろう」
という慢心がものづくりの現場で見られることがある。

努力して築き上げた地位は、努力を忘れればすぐに崩れ去る。
慢心によって努力を怠るようなことがあればそれまでである。

2.閉鎖的思考、競合集団の軽視・偏見

他国の製品(特に中国、韓国製品)に対し、偏見によりモノ自体の性能より低い評価を下す日本人は多い。
私自身も、そういった感覚が全くないというとウソになる。
しかしながら、これが行き過ぎるのは危険な状態である。

下町ボブスレーの公式twitterアカウントが韓国への誹謗中傷のようなツイートを繰り返していたことは記憶に新しい。
下町ボブスレー問題の本質は国内での「なあなあ取引」に
慣れきっていたことによる国際社会での立ち回りの甘さだと思っているし、
ソリの性能が云々というような部分は判断ができないので言及は避ける。
しかしながら、「日本のものづくり」の最先端ともいえる場に、
twitterで他集団への誹謗中傷をばらまくような人間が少なくとも一人はいた、
というのは紛れもない事実なのだ。

また、併せて閉鎖的な自国賛美も目に余る。
テレビをつけるとしょっちゅうやっている外国人に日本の技術を褒めさせる番組。
日本に外国の方を招くか、日本の技術者を外国に行かすかして、
外国の方に「日本の技術は素晴らしい!我が国にはこんな技術はない」と言わせるいつものパターン。
ここでの「外国人」は、必ず欧米人。
人によって好き嫌いがあるとは思うが、私はこの手の番組を「不快、気持ち悪い」と感じる。
日本製品の素晴らしさを伝える番組という趣旨は良いのだが、その方法がいただけない。

3.集団内での同調圧力

これはもう言うまでもない。
例えば日本製品と中国製品を比較して、明らかに中国製品のほうが優れていたとする。
あなたはそこで、「中国製品のほうが良いと思った」と素直に発言できるか。
私は、気心の知れた相手でなければ言いづらい。
中国製品、韓国製品を少しでも褒めると「この非国民が!」というような過剰反応をしてしまう人、結構多いから。

実際の所、最近の中国・韓国製品は勢いがある。
動きの遅い日本企業とは異なり、精力的にトレンドの技術を取り入れる。
作りの甘さを感じることはあるが、「こういうものを作りたいんだ!」というような作り手の熱意を感じるものも数多くある。
最近私は、壊れたら致命的なものは安定性重視で日本製を選び、
それほど重要度の高くないものは、気に入るものがあれば中国・韓国製品を購入することが多い。
運が良いだけかも知れないが中国・韓国製品だから、というような故障は未だ経験していない。
でも、なんとなく「中国・韓国の会社の製品を好んで買ってます」っておおっぴらに他人に言いづらい。
「空気」って怖いよね。

まとめ

つらつらと書いてきたが、この記事の趣旨は決して日本批判ではない。
集団浅慮に陥っているから気合い入れ直して頑張ろう、という意図。
末端の技術者の方々とかと会話すると結構危機感を持ってる人も多いのだけど、
まだまだ現状のヤバさに気づいていない人が多い。
先人たちの積み上げたものを崩してしまわないよう、ささやかながら意思表明していきたい。

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