悪いのはExcel方眼紙ではなく書類文化!

悪いのはExcel方眼紙ではなく書類文化!

度々話題になるExcel方眼紙問題、でも何か論点に違和感が

数年前から度々話題になるExcel方眼紙問題。
肯定派も否定派も、それぞれ言っていることは正しいと思う…のだけど、
どうも論点がズレている気がしてモヤモヤしていた。

ちょっと考えていたら、モヤモヤの正体が分かった気がするので文章にしてみる。
簡単にいうと、「Excel方眼紙」というツール自体の是非を論じることにあまり意味はなく、
そもそもなぜそんなことになっているかについて考えないと何も変わらないよね、ということ。

紙の書類を「そのままの形で」電子化するのであれば、Excel方眼紙は最良のツール

まず、なぜExcel方眼紙というものが使われるようになったのか見ていく。

多くの日本企業は、とにかく書類のフォーマットににうるさい。
○○申請書はこの形式で、ここの枠にこれを記入して、ここに印鑑押して…と。
一つでも間違っていると差し戻されて二度手間、とか日常茶飯事。
「指定されたフォーマットを使う」というのが何よりもの優先事項なのだ。
でも、さすがに紙の管理は大変なので電子化したい。

この「指定されたフォーマットを使う」、「電子化する」という2つの要件を満たすことを考えた時、
Excel方眼紙は最適な方法となってしまう。

なぜか。

Excelはデファクトスタンダードなツールなので誰でもそこそこ使うことができるし、
Wordと比べると枠を作るレイアウトが格段にやりやすい。
もともと印刷するためのものではないので印刷するとズレが発生するが、
それを差し引いても「紙の書類を再現するツール」として優秀なのだ。

Excelは表計算ツールだ!書類作成ならWordを使え!という主張はもっとも。
でも、紙の書類のフォーマットそのままを誰でも簡単に作ることができるツールはExcelというのが実態。
本来の用途通りにWordで書類を作るようにすれば問題が解決するのかというと、全くそんなことはない。
むしろ、ツールの手軽さが下がる分自体は悪化するだろう。

PCで書類を作り、印刷してハンコを押して、スキャンしてPDF化
などといったバカバカしい業務のやり方をするのであれば、Excel方眼紙は最良のツールなのだ。

データの再利用性?「紙の書類」にはもともとそんなものはない

否定派の主張としてよく聞く、「Excel方眼のデータは再利用できない」というもの。
これ、すっごく正しいのだけどExcel方眼紙の使われる背景を考えると間違っている。

先述した通り、Excel方眼紙が目指しているのは「紙の資料の再現」。
で、紙の資料にはもともとデータの再利用性なんてものは無い。
「資料の形式はこうでなくてはならない」という理由でExcel方眼紙を使っている人達に対し、
データの再利用性が…などと言ったところで「知らんがな」なのである。
そもそも、データの再利用などという発想がないのだから。

年配の方のExcelの使い方を見ていると、電卓で計算した数字をセルに直接入力
とかやっているのがザラ。
見ている世界が全く違う。

紙の資料はデータとしての再利用が非常に難しい(OCRとか無いことはないけど)のに対し、
Excel方眼紙の資料は頑張って仕組みを作れば再利用できないことはない。
そういった意味で、一応進歩していないことはないのかもしれない。

諸悪の根源はExcel方眼紙じゃなくて「旧来の書類文化への固執」

まとめると、Excel方眼紙は「紙書類のフォーマット再現」のために仕方なく生み出されたもの。
その目的を達成する手段としては、最良の選択肢なのだ。
でも、実際問題せっかく作った資料のデータが再利用できないのは困る。

じゃあ問題は何なのか、というところだけど、
これは間違いなく「旧来の書類文化への固執」であると断言できる。
この枠にこれを記入して、ここにハンコ押して…というやり方では、どうやったってまともな状態にはならない。
人間が見るためのビューアーは別に用意して生データはCSV化、ハンコは電子署名で代替、
整った体裁のものはデータからジェネレータで自動作成…
といった感じにしていかないと、業務はいつまで経っても効率化しない。

Excel方眼紙の是非は本質的な論点ではない。
なぜなら、Excel方眼紙自体は書類文化を無理やり残そうとしたときの最適解に過ぎないから。
まず、「書類はこうでなくてはならない」という百害あって一利なしの思考を駆逐すること、
これが再優先事項だと考えている。

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